産前・産後うつ⑤私の異変
こんにちは。
ご訪問 ありがとうございます。
写真はご近所で撮らせて頂いたツツジです。
4年前転勤した時の事を書いています。
転勤して主人の仕事ががらりと変わり激務になりました。帰ってくるのは23時過ぎ。朝は1時間位顔を合わせるだけで、慌ただしくご飯を食べて新聞を読んだら会社へ行ってしまう。会話らしい会話ができない。週一回になった休日も午前はほぼ寝ていて、午後から活動する事が出来るかなという感じでした。出張も多く、特に連休になれば泊まりがけで出張。たまにある三連休も、ずっと子ども達と近所の公園、とうわけにもいかず。7歳歳の差があるので公園でも遊びが違いすぎて楽しくならず、すぐに飽きてしまいました。
長男が野球を辞めた後、私はイベントを探して長男をマラソン大会に参加させたり、お祭りを見に行ったり、職業体験に申し込んだりして、慣れない運転で慣れない土地の道を運転して頑張っていました。
今思えば多分そんなに頑張らなくてよかったんだろうなぁ…と思います。近所の公園でそんなに楽しくなくても過ごしていてもよかった。
でも当時の私は何かしないと、頑張らないと…と思っていました。そして、私自身が疲れた1週間をリセットする楽しい時間を過ごしたかったのもあると思います…
夜布団を敷く位の時間帯になるともう疲れもピークで体力的に厳しく、長男に手伝ってもらっていたのですが、あまり手伝ってくれないと私の怒りが爆発。大声で叱り付けていました。普段、私はめったに暴言を言うタイプではなかったのですが、体力的にも精神的にも自分の中で限界…となると、もう自分で自分を止める事ができませんでした。自分の怒りを自分で止める事ができない…何回かは私も泣きながら叫んで怒っていました。私に異変が起こってきていました。
当時の事を思い出すと、長男には申し訳ない事をしたな…と思います。私自身がいっぱいいっぱいで、ゆとりがなくて…長男の事を考えてあげられずに、自分が限界を超えてしまい感情のコントロールが出来ずに長男に当たってしまっていたのだと思います。
約一年後位に野球の事、辛く当たってしまった事を長男に謝罪した事がありました。
そのことはまた次回書きたいと思います。
貴重なお時間に読んで下さりありがとうございます。
今日も一日お疲れさまでした。
明日もよい1日になりますように。
産前・産後うつ④転校とHSP
こんばんは。
ご訪問、ありがとうございます。
私のつたない文章でも読んで下さる方々がいて、ありがたいです。
写真は今日公園へ子ども達と行く途中、ご近所で撮らせてもらった2色のチューリップです。
今日は4年前に長男が転校した学校での事を書きたいと思います。
長男の転校した小学校は少子化の影響で人数が少なく、3年生はひとクラスで20数名しかいませんでした。一年生から一緒の出来上がったクラスに馴染めるのかかなり私は心配でした。幸い先生も他校からの新任の先生で少しほっとしていました。始業式を見学していると、自己紹介でとても大きな声で話をしていて、元気な先生だなぁという印象でした。
転校してしばらくしてから、長男が先生が怖いと言い始めました。理由を聞くと、自分の席の近くの子が先生によく怒られるのだけれど、それが自分の事のように思えるというのです。
授業参観に行くと、授業が始まる前から怒っている声が聞こえてきて、それもけっこうなボリューム。こういうことか…と思いました。親がいてもこの状態なら、いなかったらもっとかもしれません。以前住んでいた地域にはこういうタイプの先生は見かけませんでした。長男はこういうタイプの先生に初めて当たりました。授業自体は滞りなく進み、先生はベテランの域に入る年齢なのもあり、教え方や子ども達への接し方もお上手でした。
この地域には古き良き時代がまだ残っている感じで、休み時間に取っ組み合いのケンカがあったり、ゲームもあまり流行っていなかったり、遊び方も違いました。
長男はそういう全く違った環境に馴染むことが必要になりました。
学校の草刈り作業が休日にあったので参加した時に保健の先生が声をかけて下さり、先生の事を話すと、それは困っていますね…と聞いて下さりました。私も悪い先生ではないと思っていたので、一生懸命やって下さっているのはわかっています…とは伝えました。
去年位に長男の症状はHSPなのかもしれない、と思い当たりました。他人との境界が曖昧で、人の気持ちがわかりすぎてしまう…怒られている子がかわいそうで、自分まで怒られている気分になってしまう…
あと困ったのは嫌な事を嫌と言えない事。転校して慣れてきた頃、帰り道が一緒なお友達に道路へ突き飛ばされる事があり、嫌だと言えず、涙目で帰ってくる事が続きました。先生に相談しようかとも思いましたが、親子で乗り越えようと頑張ってしまいました。もし悩んでいる方がいたら、先生に相談して良いと思います。私は親子で悩みすぎました。長男はやめてと言いたいけど嫌われるのが怖くて言えず、私は言えるようになって欲しくて頑張らせてしまったように思います。
言いたくても言えない。嫌われたくない。
そんな気持ちも肯定してあげて、もっと寄り添えたらよかったな…先生にも後から言って、言ってくださいねって言われたよなぁって今思います。思えばこの時点で私はうつになりかけていたのかな?と思います。
自分でなんとかしないと…迷惑をかけないように…と思っていたように思います。
長男は診断を受けたわけではありませんが、聞き間違いが多かったり、話を全く聞いていなかったり、洋服のタグに敏感だったりとあれ?と思うかとが色々あり、発達障害を疑った時期もありました。でもお店の匂いがダメで長男だけ食事出来なかった事があったり、友達と遊びに行っても迷子を助けていたり…優しく、細かい事に気づきます。色々調べてこれかなぁと思いました。
HSPは環境の変化が苦手。だから転校は苦労の連続だったと思います。
本当によく頑張ってきたよね…
また長くなりました。
貴重なお時間に、お読み下さってありがとうございます。
産前・産後うつ③野球その2
こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
近くで咲いていたスズランの花の写真です。
昨日の野球の話の続きを書こうと思います。
体調不良を訴えるようになった長男。秋になった頃の話だったと思います。
この頃のことを思い出すと胸がきゅーっと締め付けられます。もっと私が気づいてあげられていたら、あんな苦しい思いを長男はしなくてよかったんじゃないかって、今でも自分を責めたくなります。
責めても時間は戻らないから、同じことを繰り返さないように…胸に刻みたいと思います。
野球の練習も休むようになり、しばらく試合も行きませんでした。体調は小康状態。
「野球、辞めようか?」
と聞いてもしばらくは悩んでいたように思います。
主人とは夜中にケンカ。長男の事を相談すると、初めから自分は野球が嫌いで、やるのは反対だったと言い始めるのです。
チーム選びから手伝ってくれていたのに…
どうりで試合も見にこないわけだ…
私は必死にやっているのに何でわかってもらえないんだろう…って思っていたように思います。
夏休みには前住んでいた所へ遊びに行き、野球を始めたお友達2人とキャッチボールを少しだけできました。
お友達2人も野球に習い事にキャンプにと忙しく、お母さんと連絡をとって予定をすり合わせて、なんとか捻り出してもらった時間でした。
お友達に会って、その理由がよくわかりました。お友達、とっても疲れていました。まだ3年生だけど6年生と同じ練習メニューをこなし、週末は試合。習い事もあります。だからお母さんも無理はさせたくなかったのですよね…無理やり時間を作ってもらって申し訳なかったなぁ…と思いました。
でも、私たちにとっては、たった1時間ちょっと遊んだ時間は、何物にも代えがたい、貴重な貴重な時間でした。お友達も最後まで名残り惜しんでお別れしてくれました。
でも、このことも後になって考えてみれば、みんな私のエゴだったのかなぁと思いました。私が野球をやって欲しかったから、私がお友達とキャッチボールをしているのを見たかったから、私が週末子供達をみるのが大変すぎたから…私の我がままだったのではないか…と気づきました。
主人からは長男はお前が野球をやって欲しいと思っているからやっているんだよ、と言われました。よく考えてみれば、以前野球をやりたかったのは、お友達がいたからなんですよね。そんな大事な事を忘れていました。
長男は引っ越してきて、お友達もいなくて、先生にも慣れなくて学校だけでも大変だったのに、野球で体力的にも大変になって、家にはパパもいつもいなくて、ママはいつも大変そう。
環境の変化が大きすぎて、野球どころではなかったよね…
きっと私が喜ぶと思って野球始めたんだよね…
我がままなお母さんでごめんね…
野球を休んでから1ヶ月ほどで、「野球やめる」と自分から決め、退団しました。
野球チームのお母さん達はよそ者の私達でも気にかけてメールをくれて心配してくれていました。よそ者を寄せ付けない地域性がある土地だっただけに、とてもありがたかったですし、今でも感謝しています。たった数ヶ月しかいなかったのに、色紙や写真をもらってお別れしました。
今でも野球をやらせなければよかったんだろうなぁ、と思います。そうしたら長男はあんなに体調不良にならなかっただろうし、苦しまずにすんだんだろうなぁと。私は良かれと思ってした事だったけど、長男にとっては負担でしかなかったんだと思います。
主人には、スポーツがあまり得意ではない長男の貴重な経験になったとフォローしてくれましたが、やはり今でも書いていて胸が苦しくなってくる位、この事についての話は私にとってまだ苦しい思い出です。
長くなってしまいました。
読んで頂いてありがとうございます。
産前・産後うつ②野球
こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
①の続きを書いていきたいと思います。
なぜ転校が大変だったと思ったか…
長男の場合はクラスに馴染むまで地域性もあり苦労したことも大きかったのですが…
何より私の中で大きかったのは、「野球」でした。
長男は小学2年生の終わり頃には1年生の頃からできた近所の仲の良い友達が何人かいました。そして3月の初旬にその仲良しの子の2人が野球を始めることになりました。長男は何日か悩んでいましたが、ある日「僕も野球をやる!」と宣言しました。やってくれたら嬉しいなぁとは思っていたので私も嬉しかったです。
それからたった何日かで主人の転勤辞令が来ました。
何で今なんだろう…野球、一緒にさせてあげたかった…この気持ちはずっと引きずっていました。
でも、引っ越すことになったからには仕方がないと切り替えて引っ越し準備をしました。
引っ越して数ヶ月後、ユニフォーム姿のお友達の姿のラインが送られてきました。
本当は息子もこんな姿になるはずだった。
かけがえのない経験をさせてあげられるはずだった。
させてあげられない悲しみ…
長男にこちらでも野球やる?と何度かは聞いていました。でも彼の答えはNo。でも、ユニフォーム姿のお友達の写真を見せてしばらくたった後、「やってみようかな」と言いました。
転勤してからの主人の仕事は今までとは全く違う職場で、新しく事業が始まった所だったので、毎日帰りは23時過ぎ。土日もどちらかは仕事。連休があれば出張という感じで、子供2人ワンオペ状態でした。土日も年の離れた兄弟を遊ばせるのは難しく、お友達もいない、週末が憂鬱でした。
野球は主に週末がメインだったので、私にとっては忙しくはあっても行く所があって、話ができるだけでも息抜きになっていたと思います。
主人にも話し、週末に近くのチームをいくつか見学させてもらい、通いやすい近くのチームに入ったのは6月位だったと思います。
晴れていたら朝練があって、5時過ぎには起きて出かけていく長男。週末も朝練をしてから練習試合等に出かけました。私も2歳の次男を背負って試合のタイムキーパーをやったり、お弁当を作ったり、スポーツドリンクを作ったり…試合の応援をしたり…やりがいがありました。
でも、しばらく経った頃異変が起きます。長男が身体の不調を訴えるようになったのです。
頭が痛いが、多かったように思います。小児科へ行くと、夏風邪でしょうと言われ、薬を貰い様子をみますが、よくならず。週二回病院へ通い、点滴を2時間打ってもらうこともありました。点滴をすると、少し楽になると本人は言っていました。
でも、本当は身体ではなく、心が悲鳴をあげていたのでしょうね…
長くなるので明日に続きますね。
読んで頂いてありがとうございます。
産前・産後うつ①転勤
こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
写真は近所に咲いていた白くかわいい花です。
今日は約4年前三男を妊娠中に軽度ですがうつと診断された経緯の始まりを書いていこうと思います。
当時長男小学3年生・次男2歳でした。3月中旬に転勤の辞令を受け、4月にA市からB市へ引っ越しました。A市には両方の親が住んでいて、車で小1時間あれば会いに行けました。B市までは車で6時間の距離。4年間慣れ住んだ後での転勤。思えば環境の変化も大きかったのだなぁと思います。
私自身転勤族で、小学校を4回転校し、中1まで父親の転勤について行きました。そんな環境で育ったので、家族は一緒に転勤について行くもの、という思いが強くありました。長男もパパっ子で、転校の事を話しても、「パパについて行く!」という返事しかありませんでした。主人は長い期間ではないかもしれないし、A市に残ってもいいのでは?そろそろ家を構えた方がいいのでは?というスタンスでした。でも、次男も当時2歳で小さかったのもあるし、何より私自身の家族は一緒にいるもの、という思いが強かっと思います。周囲のこの辺りで家を探したら?や、もし転勤になったら借りる住宅を探している、という声を周りで聞いても、自分事に考える事をしませんでした。
今思えばもっと柔軟に考えられればよかったんだろうな、と思います。自分の思いに迷いがなかったのはいい事だったのかもしれないけど、心のゆとりというか、余白というか、周りはこうなんだな、そういう選択肢はどうなんだろうな、と考える柔軟性があったら未来は違ったものだったのかもしれない…と思います。
でも、この問題はとても難しいとも言えるんだろうなぁ…と思います。
現にこの一緒の時期に長男と次男君が同級生で長男さんが春から中学生のお宅がやはり転勤になり、初めは残る選択をしていたのですが、家族で話し合ううちについて行く方向になりました。他からみていれば、長男さんの中学入学という大きな節目を何も転勤という大変なものにしてしまわなくても…という思いを感じていました。でもそこは、家族で何度も話し合った結果。しかも初めはついていかないと決めていたにも関わらず、です。家族の選択は本当にそれぞれで良いのだと思います。
ただ2年後にA市へ戻ってきた時に、同じ時期に戻った彼女が言ったのは、「たった2年なんだから残れば良かったよね」という事でした。私達の場合は3年から4年は転勤出来ないだろう言われていたので、予想外に早い転勤でしたが、彼らの場合は長男さんの高校受験を考えて2年したら戻ってくると決めていました。にも関わらず、です。転校は昔と違い、今の子供にとってはとてもハードなもので、とても苦労した話を聞きました。うちも同じだったので、同感でした。
そして、そう思う大きな理由があるのですが、長くなると思うのでまた次回に書きたいと思います。
はじめまして。
12歳・5歳・2歳の3人の男の子を育てながら転勤族の主人を支えるアラフォーの専業主婦です。
主人は全国転勤ありの勤め先で2、3年おきに転勤してきました。3回転校してきた長男の中学入学を控え、私も3人の子育てで大変だったこともあり、去年の3月に私の実家近くへ引っ越ししました。
ブログには第三子妊娠中にかかった軽度のうつについてや育児や日常で思ったこと等書いていこうと思っています。自分の今までを書くことで気持ちを整理したかったのと、うつの自分を受け入れたいなぁと思いブログを始めます。それが、私と同じように悩みながら子育てしているお母さんの参考に少しでもなれれば嬉しいです。
よろしくお願いします^^